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【古代エジプト】 ダーク時代!?第2王朝「ホルス神VSセト神」の争い

 

こんにちは!

 

ご覧いただき、ありがとうございます。

 

このブログでは、エジプトのポジティブな情報をお伝えしています。

 

ピラミッドとスフィンクス

 

今回は、古代エジプトシリーズ。

 

 

ピラミッドやスフィンクス、ツタンカーメンにミイラや神殿など、数々の世界遺産で有名な古代エジプト文明。

 

ハイライトは、王朝時代ですが、その起源は、紀元前7050年前まで遡る新石器時代だといいます。

 

(古代エジプト文明の起源については、以前の記事で紹介しています)

 

 

今回は、古代エジプトのダーク時代と言われる第2王朝に入っていきます。

 

 

王朝時代、初めてルール違反をした王様を知っていますか?

 

 

今回は、その王様による紛争「ホルス神VSセト神」のお話です!

 

左:セト神 右:ホルス神(アブ・シンベル神殿壁画)

 

第1王朝が終わり、第2王朝に入った辺りの歴史は、まだまだ不明なところがたくさんあるそう。

 

研究者の間でも確認できていないのがこの第2王朝の時代なんだとか。

 

だから、ダーク時代と言われるのですね。

 

(私、初めて知りました・・・笑)

 

ここでは、わかっていることを見ていきます。

 

今まで、古代エジプトの王は、即位する時に、「ホルス名」という王名を名乗るのが通例だったそう。

 

ちなみに、皆さん、エジプトの王のことを「ファラオ」と呼ぶのは有名ですね。

 

でも、実は、この時代には、ファラオとは呼んでいなかったのだそう。

 

王がファラオと呼ばれるようになったのは、新王国時代に入ってからなんですって!

(またまた知らなかった私…笑)

  

 

第1王朝時代には、7人の王がいたといいます。

 

かれらは、全員ホルス神を差す「ホルス名」を使っていたそうです。

 

以下が、彼ら王たちのホルス名です。

 

①ナルメル

②アハ

③ジェル 

④デン

⑤アネジイブ 

⑥セメルケト

⑦カア 

 

第1王朝デン王の石碑

(画像:ウィキメディアより)

 

ちなみに、第1王朝「ナルメルのパレット」については、こちらをどうぞ。

  

第1王朝「ナルメルのパレット」のメッセージ!?

 

第2王朝時代にも、7人の王がいたといいます。

 

第2王朝は、次の3つのことから、第1王朝に比べて政治的に不安定であったことを示している、と言われています。

 

それが、こちら。

 

①王の墓地の移動

②後世資料との食い違い

③資料が稀 

 

さて、第2王朝では、第6番目の王とされるペルイブセンの頃、紛争が起こったとされているようです。

 

それまでのエジプト王は、即位する時に、「ホルス名」という王名を名乗るのが通例だった、と先ほどありましたね。

 

ホルス神(画像:こちらより)

 

ペルイブセンも、当初は、ホルス名の「セケムイブ」と言う名を名乗っていたんだとか。

 

しかし、セケムイブ王は、王朝時代で初めてルール違反をしたというのです!

 

治世後半、セケムイブ王は、セト神を差す「セト名」という王号を新たに作り、セト名である「ペルイブセン」と名乗り、以前の名を捨てたそう。

 

セト神は先王朝時代のナカダ文化 Ⅰ 期まで遡る古い神で、ペルイブセンの治世では、都市ナカダの守護神だったのだとか。

 

(画像:こちらより)

 

(ナカダ文化については、こちら ⇒ 先王朝時代ナカダ文化

 

ナカダは、東方の砂漠で採掘される金を含む、鉱物の集積拠点であり、有力な都市だったそう。

 

勢力が増大したナカダは、国家神をホルスからセトに変えさせたといいます。

 

実際のところ、ナカダで何が起こったのかは分かっていません。

 

クーデター(革命)かもしれないし、王の意図でそれまでの勢力を排除したのかもしれない、ということです。

 

 

第2王朝、最後の王である7番目の王は、当初ホルス名の「カセケム」を名乗っていました。

 

一説によれば、カセケム像が白冠を冠っていることから、カセケムは即位した当初は南エジプト(当時の上エジプト)しか統治できておらず

 

北エジプト(当時の下エジプト)の勢力、(おそらくセト神の勢力)を鎮圧して再統一を果たしたのではないか?という説もあるそうです。

 

これに対して、カセケム側のホルス神を守護神とするヒエラコンポリス勢、セト神勢が、守護神のナカダとの権力闘争の末、カセケムが勝った、としている説もあるんだとか。

 

第2王朝最後の王「カセケムイ」

(画像:Wikimediaより)

 

いずれにしろ、鎮圧あるいは再統一のあとに、カセケムは「ホルスとセト名」という王号を新たに作り、「カセケムイ」と改名したといいます。

 

しかし、次の代は、この王号を受け継がずにホルス名を使用し、「セト神」勢は、結局のところ勢力をそがれた、と考えられているようです。

 

第1王朝と第2王朝は、初期王朝時代と呼ばれ、世界初の領域国家でした。

 

そのため前例がなく、試行錯誤しながら広領域を統治する体制の構築をしなければならなかったんだとか。

 

このように、初期王朝時代と言われる第1・第2王朝期は、発展途上の段階だったそうです。

 

次の古王国時代になると、中央集権体制が整い、皆さんも良く知る「ピラミッドの時代」と言われるように、多くの大規模なピラミッドが造られるようになったのですね。

 

(撮影:日本人妻)

 

初期王朝時代の試行錯誤が、結実するのは、古王国時代になってからなんだそう。

 

以上、今回は、第2王朝時代についてでした。

 

ダーク時代というだけあって、資料が少なく、簡単な話でした。

 

次回は、第3王朝時代のお話です!