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【古代エジプト】気に入らないという理由で、3つもピラミッドを作った王スネフェルとは!?

 

こんにちは!

 

ご覧いただき、ありがとうございます。

 

このブログでは、エジプトのポジティブな情報をお伝えしています。

 

ピラミッドとスフィンクス

 

今回は、古代エジプトシリーズ。

 

 

 

はじめに、ちょっと質問です!

 

みなさん、なにか物を買った後、それが気にいらなくて返却したり、誰かにあげたりした経験ありませんか?

 

きっと誰でも有りますよね!?

 

 

今回は、それをピラミッドでもやってしまった王様の話です。

 

 

ピラミッドを一度作った後、気に入らなくて、二つ目を作り、さらにそれも気に入らず

 

とうとう三つ目まで作ってしまったという王がいるんだとか!

 

 

( ※ 諸説あるようですが、ここでは、考古学を研究するエジプシャン夫の意見を採用します)

 

 

まず、三つのピラミッドを作った王についての話から始めましょう。

 

 

その王さまの名は、スネフェル

 

スネフェル王(画像:Wikimediaより)

 

スネフェルは、古代エジプト・古王国時代・第4王朝の創始者です。

 

 

ネフェル王の子は、エジプトで最大のピラミッドを作った、あの有名なクフ王です。

 

 

実は、父であるスネフェルは、誰もが知る息子クフ王よりも、たくさんのピラミッドを作っていたんだそう。

 

 

彼が最初に手がけたのはメイドゥムにあるピラミッドです。

 

メイドゥムピラミッドと呼ばれることが多いようです。

 

 

メイドゥムピラミッド

(画像:Wikimediaより)

 

 

最近では、日本の駒沢大学の研究チームがそこで調査していますね。

 

 

また、メイドゥムといえば、有名なのは、世界一古い壁画が発見されたことです。

 

 

その壁画は現在、エジプトカイロ考古学博物館に展示されていますので、興味のある方は、ぜひ訪れてみてくださいね!

 

(画像:Wikimediaより)

 

 

さて、スネフェル王は、はじめて真正ピラミッドを作った王でした。

 

 

と言っても、最初は、階段ピラミッドとして作り始め、途中から真正ピラミッドに作り直させたのだとか。

 

でも、それは失敗し、完成しなかったといいます。

 

 

 

メイドゥムにある階段ピラミッドを見ていきましょう。

 

 

象形文字でピラミッドの名前は、Ḏdj Snfrwとあり、「スネフェル永遠」という意味になるそうです。

 

(作:エジプシャン夫)

 

メイドゥムのピラミッドは、セネフルがエジプトで王位に就いた後に建てた最初の建物でした。

 

 

そして、彼は「ゲディセネフル」の近くにそれを建設する場所を選びました。

 

 

現在のメイドゥムとして知られるその地域は、それ以前には、王家の墓としては使われていなかったんだとか。

 

 

古代エジプトのエンジニアは、首都に近く、その上に構築されるピラミッドに耐えることができる岩の多い台地であることを根拠に、この地域を選んだようです。

 

 

当時知られている方法・階段ピラミッドの構築方法で、構築は始まりましたが、ピラミッドを地下に構築するのではなく、ピラミッド内に構築するなど、いくつかの変更が行われました。

 

 

何年にもわたってそれを手がけ、建設が完了すると、スネフェルは彼の墓となる予定だったこのプロジェクトを去り、ダハシュールに斜めのピラミッドを構築し始めました。

 

 

それが、有名な屈折ピラミッドです。

 

 

しかし、この屈折ピラミッドも失敗作という定説があるようです。

 

屈折ピラミッド

(画像:Wikimediaより)

 

では、不思議な形をした、謎の屈折ピラミッドを見ていきましょう。

 

 

始めは傾斜の角度が57度で作られていたのが、なぜか、真ん中あたりから43度に変えられているんだとか。

 

(画像:The Oxford History of Ancient Egyptより)

 

 

ギザのピラミッドを半分に切って、赤いピラミッドの上半分をのせたような形をしています。

 

なぜこのような形なのかは、解明されていないんだとか。

 

これらの2つのピラミッドを作らせた、スネフェル王の急死により完成を急いだからという説もあるそうですが、内部の部屋の天井にひび割れが生じ、崩壊しないように重さを軽減させたためではないかというのが定説のようです。

 

 

その後、スネフェルは、ダハシュールに、赤いピラミッドを構築し始めました。

 

 

エジプトで2番目に大きい、赤いピラミッドを見ていきましょう。

 

赤いピラミッド

 

エジプトにあるピラミッドの中で一番有名なギザのクフ王のものに次いで2番目に大きいのがこれ。

 

 

赤いピラミッドの傾斜はゆるやかですが、高さは105m、底辺の長さは220mあります。

 

 

 

赤のピラミッドは、表面の化粧石がはがれて、中の石が赤いことから、そう呼ばれているんだそう。

 

 

 

赤といっても真赤ではありません。赤茶けた色をしていて、他のピラミッドとは微妙に色合いが違います。

 

 

このピラミッドの内部にも、入ることができます。

 

赤いピラミッド入口

 

内部には部屋が3つあり、全て、天井は三角屋根のようにとがった形をしています。

 

 

薄い板のような石灰岩のブロックをずらして三角形に積んで作られているんだとか。

 

 

このピラミッドは、スネフェルが建築した中で最後のもので、屈折ピラミッドのすぐ脇に建設されています。

 

 

スネフェルの治世30年に始まり、建設に10年7か月を要したとされているそう。

 

 

こうして、やっと、スネフェル王は、はじめてピラミッド全体を完成させたのです。

 

 

スネフェルは、完全に完成した、最初のピラミッドである赤いピラミッドを彼の墓とすることを選択しました。

 

 

(画像:Wikimediaより)

 

スネフェル王の作ったピラミッドは、どれもクフ王の作ったギザの大ピラミッドよりも小さいですが

 

スネフェルがピラミッド建設に使った石の総体積は、全ての王の中で、最大だといいます。

 

それもそうですね、たくさん失敗して、たくさん作ったのですから。

 

このような巨大な建造物をいくつも作ったにも関わらず、彼の治世についてはあまりよくわかっていないのだそう。

 

(画像:Wikimediaより)

 

パレルモ石の銘によると、エジプト人は既に質の良い木材を国外から輸入しており

 

スネフェルはレバノンから40隻の船でヒマラヤスギを買っていたとされています。

 

また彼は、貿易と戦争などの目的のためシナイ、ヌビア、リビアで船を建造させたようです。

 

当時の生活の様子は、エジプト中王国時代に書かれたウェストカー・パピルスで知ることができます。

 

言い伝えでは、スネフェルは賢く公正な支配者であったとされています。

 

 

確かに彼の統治時代は、後に黄金時代と見なされているのです。

 

ピラミッドの建設が一気に広まったように、彼の時代がエジプトの歴史の分岐点となったのは明らかです。

 

以上、今回は、スネフェル王が試行錯誤したピラミッドの話でした!

 

 

参考文献

 

Shaw Ian The Oxford History of Ancient Egypt

Kathryn A. Bard Encyclopedia of the Archaeology of Ancient Egypt