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【古代エジプト】トレジャーハンターは本当にいた!?

 

こんにちは!

 

ご覧いただき、ありがとうございます。

 

このブログでは、エジプトのポジティブな情報をお伝えしています。

 

  

今回は、古代エジプトシリーズです。

 

古代エジプト考古学を研究する夫から聞いた話をブログにまとめています。

 

テーマは、『トレジャーハンティング』です。

トレジャー・ハンティングというと、みなさんのイメージに「インディ・ジョーンズ」や「クリスタル・スカルの王国」が浮かぶのではないでしょうか?

 

または、「ザ・マミー」とか。

 

このような映画は、フィクションのところもあるけれど、ノンフィクションの部分もあるんだとか!

 

トレジャー・ハンティングする人って本当にいたんですね。


※ちなみに、夫はエジプト人ですが、だからと言って、「盗まれた」と言う被害者的な見方ではなく、事実をありのままに伝えたいそう。

 

そもそも、トレジャーハンティングって、どういう意味なんでしょう?

海や山、廃墟、遺跡など、人の手が入らない場所に赴き、遺された”お宝”を探し出すことで、それをおもな目的として職業とする人のことをトレジャーハンターというそうです。

 

前回の記事「エジプト学とナポレオン」で、ナポレオンのエジプト遠征以後、エジプト学は学問としてスタートを切ったと言う話をしました。

 

ナポレオンとピラミッド(画像: Wikimediaより)

 

その一方で、エジプト・ブームの高まりにより、略奪の時代が再来したそうです。

エジプトを訪れるヨーロッパの人々は、観光だけでなく、盗掘まがいの調査を行い、トレジャーハンティングし、遺物を持ち出したといいます。


これには、当時のエジプト総督であったムハンマド ・アリが、西洋的近代化を促進していたため、彼らの行為に寛容であったことも大きく影響しているそうです。

 

当時のエジプト総督 ムハンマド ・アリ

(画像: Wikimediaより)

 

当時、ヨーロッパの貴族や博物館は、古代の遺跡を集めることに躍起になっていたといいます。


そのため、領事館に依頼されたトレジャーハンターが、遺物を掘り出し、それを本国に売り払うというビジネスが成立していたそう。


その代表的な人物が、イギリス総領事のヘンリー・ソルトと、イタリア人のジョバンニ・ベルツォーニだといいます。

 

ベルツォーニはもともと、自分で作り上げた揚水機を売り込むために、エジプトを訪れたんだとか。

 

しかし、それは失敗に終わり、ソルトと出会い、トレジャーハンティングに乗り出したそうです。

 

王家の谷

 

ルクソール西岸の王家の谷では、1816年から1817年にかけて精力的に調査を行ったようです。

 

なかでも、王家の谷で最も保存状態が良く見事な壁画で彩られたセティ1世の墓の発見は、最大の成果だったそう。

 

作:エジプシャン夫

 

その玄室に置かれていたセティ1世のアラバスター製石棺は、古代エジプトの最高傑作の一つ。

 

これも運び出され、現在はロンドンのサー・ジョン・ソーンズ美術館に展示されているそうです。

 
この他、彼はエジプト最南端まで探検し、砂に埋もれていたアブ・シンベル大神殿を掘り出したといいます。

 

アブ・シンベル大神殿

 

また、彼が持ち出した遺物のなかで有名なのは、ラメセス2世の巨像だそう。


ルクソール西岸のラメセス2世の葬祭殿ラメセウムには、エジプト最大の王の像(若きメムノン)が横たわっていましたが、その大きさから、誰も運び出すことができずにいたそうです。

 

しかし、ベルツォーニは、古代エジプトの知識と技術も用いて、巨像を動かすことに成功したといいます。


現在ラメセス2世のこの巨像は、ロゼッタ・ストーンに並ぶ大英博物館の秘宝として展示されています。

 

(画像:大英博物館HPより)

 

当時のこうしたトレジャー ハンターにより、ヨーロッパの博物館のエジプトコレクションは、その基礎が形成されたそうです。


ここで、もう一つの事実として、古代遺物の輸出を禁止する法律は、エジプトにはなかったということがあります。


1983年まで、エジプトの法律では、骨董品を発掘する外国の使節に対し、半分に相当する数の破片を譲ることを許可していたんだとか。

 

16世紀以降、3世紀にもわたって、エジプトの古代遺物が奪われ、港には毎日何千もの遺跡が運ばれていたといいます。


また、遺跡は、なんとエジプト博物館で販売されてもいたそうです。

 

エジプト博物館

 

博物館に行って、展示されているものの中から好きなものを選び、支払いさえすれば、誰でも自分の所有物にすることができたのだとか。


しかも、その遺跡をエジプト国外で販売する権利さえあったそう。


元エジプト考古省大臣であるザヒ・ハウワス氏によると、エジプトの古物検査委員会にも腐敗があったようです。

 
特に、2011年1月のエジプト・アラブの春の革命後に発生した汚職や盗難で、遺物のほとんどは、数十年にわたって合法的にエジプトから出されたようです。

 

現在は美術館や外国の大学によって所有されているそうですが、法律によってそれらを展示する資格があるようです。

 

また、最近の事実として、盗掘している人たちがルーブル美術館に古物を売っていたことも明らかになったそう。

 

(画像:ルーブル美術館HPより)

 
ルクソールの墓地から盗まれた骨董品をルーブル美術館が4つ購入したことを知った、元エジプト考古省のザヒ氏は手紙を博物館に送り交渉し、遺物を返却するよう強く要求したそうです。


ルーヴル美術館は、古美術品をエジプトへ返却するのに遅延したため、エジプト側は、サッカラでの発掘作業を中止し、対抗したといいます。


結果、ルーブル美術館は、盗まれた古物をエジプトへ返却したといいます。

 

ユネスコ協定では、1973年以前の古代遺物を返還しないことになっているため、エジプトの古代遺物を海外から回収することは難しいようです。

そのため、最も大事な遺物は、いまだに海外にあるそうです。


例えば、イギリスの大英博物館にあるロゼッタストーン、ドイツにあるネフェルティティの胸像、アメリカ・ボストンの第2ピラミッドエンジニアの像などがそう。

 

ネフェルティティの胸像

(画像: Wikimediaより)

 

 ということで、今回のお話は「トレジャーハンティング」でした!


次回のテーマは、「エジプト文明の起源」についてです。

 

いよいよ本格的に古代エジプトの歴史の話に入っていきますよ!